この旭車は、弘化3年(1846)上半田北組にて唐子車として建造され、大正12年(1923)東組に譲渡されたもので、改造の際に立川昌敬作の檀箱や脇障子の彫刻を外し武豊町長尾部の玉貫組に売却したといわれます。 代表彫刻は立川和四郎富昌による檀箱「唐子と鶏」と脇障子「鉄拐仙人・蟇仙人」です。
唐子遊びと鶏」立川和四郎富昌弘化3年
「龍」初代彫常大正年間
「川中島」初代彫常大正年間
「鉄拐仙人、蟇仙人」立川和四郎富昌弘化3年
「恵比寿、大黒」初代彫常大正年間
「緑地に鶴の刺繍」
「三玉の亀」
「緋羅紗地に波と太陽の金銀刺繍」