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- 中ノ筋町陵王車調査報告書 考<改訂版>
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調査のまとめと主要参考文献
調査のまとめ
前調査及び今回の調査を実施して、田原町新町が名古屋の常盤町より山車を購入した事が事実化した。常盤町は明治27年に山車を所有した際に祭礼に必要な物を揃えた。大太鼓・揚巻の墨書きはそれを裏付けできる物である。広井洲崎神社天王祭に花園町の船車と共に常盤町は祭礼に山車を曳きだしたが参加が数年でとり止めとなった為、山車はその後町内で保管されてきた。大正12年の遊廓移転にともない常盤町は不要となった山車を田原町新町へ昭和3年に譲渡する。山車は船で堀川を下り、伊勢湾を経て田原の港へ運ばれたものと思われる。新町では山車を購入に際し、名古屋の松坂屋より上山の人形を購入し応神天皇車と名付けて祭礼に曳きだしてきた。新町では購入後大がかりな修理もしてないことから名古屋時代の原型をよく残していると思われる。応神天皇車は名古屋の祭礼文化を受け継ぐ貴重な山車と言える。前調査からの中ノ筋町との関連については、中ノ筋町より常盤町に譲渡された裏付けはないが那古野神社が所蔵している「須佐之男神社神輿渡御の図」に見える中ノ筋町の陵王車の特長である前棚と上山に階段が掛けられている山車の形状が田原町新町の応神天皇車にしか見られない事や、朱塗りの高欄黒漆塗りの階段造りが舞楽の舞台を連想させること等、明治27年に常盤町は新道地区の天王祭車の陵王車を購入したものと考えられる。千歳町(千歳町中ノ筋)は明治27年頃に枝郷町の散手車を購入した為、以前より所有していた陵王車を明治27年に常盤町に譲渡したものと考えます。
平成15年9月吉日
主要参考文献
| 「名古屋祭」 | 伊勢門水 | 明治43年1月 |
|---|---|---|
| 「門前町史」 | 牧野市太郎 | 明治34年11月 |
| 「名古屋史要」 | 名古屋市役所 | 明治43年3月 |
| 「名古屋市史 風俗編」 | 名古屋市役所 | 大正4年8月 |
| 「名古屋市史 社寺編」 | 名古屋市役所 | 大正4年7月 |
| 「名古屋市史 地理編」 | 名古屋市役所 | 大正5年3月 |
| 「新修名古屋市史民俗編」 | 名古屋市役所 | 平成13年3月 |
| 「郷土の山車写真集」 | 山田鉦七 | 昭和46年4月 |
| 「幅下」 | 市立幅下小学校 | 昭和47年10月 |
| 「ひがし3号」 | 東区郷土史研究会 | 平成8年7月 |
| 「金明録一猿猴庵日記」 | 蓬左文庫 | 昭和61年3月 |
| 「青窓紀聞」 | 水野正信 | 江戸時代後期 |
| 「尾張年中行事絵抄] | 蓬左文庫 | 昭和62年3月 |
| 「名古屋府城志」 | 名古屋市教育委員会 | 昭和38年11月 |
| 「名古屋再発見」 | 服部鉦太郎 | 昭和59年4月 |
| 「堀川物語」 | 中日新聞本社 | 昭和61年4月 |
| 「城下町名古屋」 | 名古屋市博物館 | 昭和62年9月 |
| 「名古屋の町名」 | 名古屋市 | 平成4年3月 |
| 「堀川端のもがたりの散歩みち」 | 名古屋市中区役所 | 平成14年3月 |
| 「田原萱町の山車」 | 萱町山車修復委員会 | 昭和63年11月 |
| 「田原祭本町の山車」 | 本町山車修復委員会 | 平成5年3月 |
| 「田原町史」 | 田原町 |
協力者
横井誠、岩田高典、田原町新町お囃子会、愛知山車祭り研究会
「中ノ筋町陵王車調査報告書」
平成13年12月吉日作成
平成15年9月吉日改訂
作成者:大内 裕二、木村哲男
