公開日:2001.09.03 最終更新日:2020.10.22
- 場所
- 西春日井郡西枇杷島町
- コメント
なぜ、この地方の山車幕は赤なのだろう。いや、青とか他の色もあるのだが、大多数は赤幕。いわゆる猩々緋(しょうじょうひ)と呼ばれる織布。
この猩々緋は、戦国時代に武将が鎧の上に着る陣羽織として好み珍重されたようで、当時、海外から輸入されてくるこの毛織物は、猩々の血で染めてあると信じられていました。猩々は鳳凰や龍などと同じ中国の想像上の動物ですが、モデルはオランウータンではないかといわれています。
ですから、実際には猩々の血で染め上げている訳ではなく、本当は南米のサボテンに寄生する貝殻虫の一種の体から出る染料で染めたのだそうです。
しかし、古い祭礼絵図を見ますと、色んな柄や緞帳になった大幕が描かれています。昔は赤幕ではなかったのですね。
ではこの猩々緋、なぜこのように流行してしまったのでしょうか?
江戸末期、徳川斉朝公という祭り好きで有名な尾張の殿様がおられまして、お気に入りの山車には気前よく太鼓やら幕をプレゼントしたらしいのです。いわゆる拝領品ってやつですか。天保6年(1835)にも、若宮祭の福禄寿車に大幕を下したのですが、これが猩々緋だったのです。真っ赤な幕は当時新鮮だったのか、他の山車も真似をして赤い幕が広まったらしいのです。(名古屋山車調査報告書2:鬼頭秀明氏より参照)
えっ?写真と文章がかみ合ってないし、何だかいつもの「今週のアングル」と違って真面目すぎるって?
確かに。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
最初は、この頼光車の後ろにある豹(ヒョウ)を見て、幕も豹柄だったら調和がとれるのではないかと、ちょっとイタズラしてみたのです。だって、浜崎あゆみデザインの豹柄携帯電話があるくらいだから、豹柄山車もあってもいいんじゃないかなと思って。。。。。。。。。


