記憶色

 公開日:2003.11.30  最終更新日:2020.07.03

シーズンになると毎週のようにイソイソと出かけるのだが、心はイソイソでも、一見コソコソなのである。

「今日はどこへ行くの?」
「亀崎!」
「今日は?」
「横須賀」
「毎年行ってるから、同じじゃないの?」
「。。。。。。」

カミサンと毎度繰り広げられる会話なのだが、いまだに説得出来る返答が出来ないでいる。
いや、答えようと思えば出来ないこともないのだが、どうせ理解してくれやしないだろうし、第一面倒である。

確かに毎年行われるのから、大して変わらないのかもしれない。いや伝統の祭りだから変わってはいけないのだが…
その、変わらない祭りだが、見る・撮るにしても一応テーマを持って望むことにしている。毎年同じところで同じように撮っていては進歩がないだろうし、頭もボケる。

平成15年の潮干祭は『ベルビアで撮ろう』であった。ベルビアとは富士フィルムのカラーリバーサルの一種である。プリント用のネガフィルムではなくポジ(スライド)になるフィルムだ。
綺麗な発色をするので風景に使う事が多いが、感度がISO50と低く(新型は100になった)硬調で、祭りなど動きの激しい被写体に使う人は少ないようだ。

カミサンと毎度繰り広げられる会話なのだが、いまだに説得出来る返答が出来ないでいる。
いや、答えようと思えば出来ないこともないのだが、どうせ理解してくれやしないだろうし、第一面倒である。

確かに毎年行われるのから、大して変わらないのかもしれない。いや伝統の祭りだから変わってはいけないのだが…
その、変わらない祭りだが、見る・撮るにしても一応テーマを持って望むことにしている。毎年同じところで同じように撮っていては進歩がないだろうし、頭もボケる。

平成15年の潮干祭は『ベルビアで撮ろう』であった。ベルビアとは富士フィルムのカラーリバーサルの一種である。プリント用のネガフィルムではなくポジ(スライド)になるフィルムだ。
綺麗な発色をするので風景に使う事が多いが、感度がISO50と低く(新型は100になった)硬調で、祭りなど動きの激しい被写体に使う人は少ないようだ。

上の画像は「今週のアングル」でも使用した使い廻しの画像だが、想像以上のド派手ぶりである。
偏向フィルタを使用し、更に露出を切りつめ空のトーンを落としてみたが、威力は絶大でもかなり大袈裟な表現でもある。

これは、ポジフィルムをそのままフィルムスキャナで取り込んだ元画像である。近頃スキャナの調子が悪くご覧のような寝ボケた画像にしかならない。 これをフォトショップでレタッチしたのが上の大きな画像なのだが、この場合は記憶色に頼らなくてもいい。左目でフィルムをにらみながら、調整すればいいのだから。 だが、なかなか根気のいる作業ではある。

これは、ポジフィルムをそのままフィルムスキャナで取り込んだ元画像である。近頃スキャナの調子が悪くご覧のような寝ボケた画像にしかならない。
これをフォトショップでレタッチしたのが上の大きな画像なのだが、この場合は記憶色に頼らなくてもいい。左目でフィルムをにらみながら、調整すればいいのだから。
だが、なかなか根気のいる作業ではある。

最近デジカメの性能などでよく耳にする言葉に「記憶色」がある。簡単にいってしまうと、実際に見た色と、記憶に残る色は違うということ。
実際に撮ったときの絵柄より、派手目に画像を記録したほうがリアリティがあるとういう事だろうか。確かに青はより青く、赤い山車幕はより鮮やかな赤であったほうが見栄えがいいだろう。

フィルムで撮った写真も、デジカメで撮った画像も、現実の色と全く同じとは限らない。写真屋さんにプリントを頼むと、ほとんどが機械が判断して適正な(に近いと思われる)色合いに調整してプリントされる。あるいはオペレーターが自身の美意識で綺麗にプリントしてくれるのだ。

私が自宅でプリントする場合も、ホームページに使う画像も同じである。善悪は別にして、他に比較するモノサシがない以上、「こんな感じだった」「もっと明るい色だったはず」などと、自分の脳裏にある記憶色に頼るほかないのだ。山車幕の赤一つとっても、実に色んな赤がある。山車彫刻の白木の色なども木の個性や経過年数によって随分色味も違う。

だから、ついついその日の気分・体調によって差が出てしまうことになる。一旦ホームページに載っけた画像を内緒でコソコソと入れ替える事など茶飯事である。
多少の違いはご勘弁いただけるだろうか…