宝暦12年(1762)に建造された先代の軕は寛政6年(1794)の大火で焼失、現在の軕は文政5年(1822)から再建が始まり、天保3年(1832)に漆塗りを終え、その後も勾欄螺鈿や金具、彫刻が安政4年(1857)までに追加され現在に残る豪華なが完成しました.
特徴的な屋根は荘園から破風屋根に側面には千鳥破風となっています。
山車彫刻は信州諏訪の二代目立川和四郎冨昌と専四郎冨種の父子による作品が弘化2年(1845)から嘉永5年(1852)にかけて制作され、また地元高田の彫刻師早瀬忠兵衛による作品で飾られています。
これらの作品は岐阜県の重要文化財に指定され、特に「松鷲」など非常に見応えのあるものとなっています。
からくり人形は謡曲「猩々」を題材にしたもので、雌雄二体の猩々によって演じられます。
作者は不明ですが、平成26年(2014)に二代目萬屋仁兵衛によって修復されました。
前人形は七代目玉屋庄兵衛作