公開日:2001.01.17 最終更新日:2020.07.20
- 場所
- 東海市公通組
- コメント
この人形は、昔の。。。。。といっても昭和の終わり頃まで使われていた公通組の采振り人形です。洋服を着て帽子を被り、手には日の丸の国旗!采振り人形としては奇抜で珍しいのではないでしょうか?
明治10年に五代目玉屋庄兵衛によって作られ「官員さん」と呼ばれていました。明治10年といえば、大政奉還・明治維新の混乱と文明開化のかけ声が入り交じった激動の時期、からくり人形のファッションにも時代の最先端が取り入れられたのでしょうか。
名古屋系の山車の采振り人形といえば、今も昔も「唐子」か「江戸時代の人物」と相場が決まっています。旧来の采振りを廃してまで、この官員さんを山車に載せるには組内でも相当な論議か繰り広げられたのではないでしょうか。例えば…
惣代「今日集まって貰ったのは、前木偶をそろそろ決めなあかんのでな」
鶴爺「総代さん、何か腹づもりがあるんか」
惣代「これは、どうじゃ」(官員の絵を見せる)
源太「ほんなん、あかんて!」
勘吉「ほーだ、源さんの言うとおり。やっぱり、信長さんだぎゃー
石松「そんなら、前と一緒だがね。どうせ新しするならパッと目立つもんつくらな」
吉三「何を言っとりゃーす。前とおんなじ信長さんのほうがええがね」
可知「あらま!男前でハイカラだなも」
新介「巡査乗せたら、税金まかるきゃー」
藪医「あれは巡査だにゃーよ。官員さんだげな」
勝平「玉屋さんはどう思やーす?」
玉屋「あっしは、どちらでも。。。皆さんでお決め下され」ケンケン、ガクガク、ミャーミャー、ギャアーギャアー。。。。途中略
石松「鶴さんさっきから黙っとるけど、あんたも何か言ったりゃー」
鶴「んじゃ、官員さん。。。。」
惣代「では、鶴の一声で官員さんに決定でええな。」
惣代「ところで、まぁ~ちょびっとまからんきゃ~。玉屋さん。」
玉屋「ほんなこと言やーすな。三年無償修理の保証書付けたるでなも」というわけで、鶴太郎さんの一言でなんとなく話がまとまったげな。。。。
このような寄り合いがあったかどうかは、はなはだ疑問ではあります。まあ、関係者の勇気?ある決断で、この前代未聞の前人形が登場する事になったと思いますが。。。
ただひとつ間違いなくいえるのは、当時この人形を見た横須賀町民の驚きでしょうか。その様子が目に浮かぶようではあります。
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時は移り…
話の展開上安易ではありますが、突然現代の横須賀まつり当日にタイムスリップしてきた浦島太郎状態の鶴爺!ひまそうにしていたnovaさんをつかまえ。源爺「もしもし、ちょいとお尋ねしますが、あの八公の前人形は、確かもっとハイカラな官員さんだったのではありませんかな?」
nova「ああ、あれね。替わりましたよ。これは織田信長だそうですよ」
鶴爺「いつ頃ですかな?」
nova「さあ?確か昭和の終わり頃だったですかね」
鶴爺「昭和?」
nova「明治、大正、昭和、平成の昭和ですよ」
鶴爺「・・・・・・・」
nova「どうしました?顔色が悪いようですが」
鶴爺「で、官員さんはどうなりました?」
nova「官員さんなら、今あなたが見てるじゃないですか」
鶴爺「でも、これは信長では?」
nova「そうですよ。でも顔をよく見てご覧なさい。」
鶴爺「・・・・・・・・・・・・・・・あっ!」
鶴爺「官員さんだ!」
nova「わかりましたか?いつまでも、いつまでも、涙が止まらない鶴爺であった。
皆さんはおわかりでしょうか?
そうです明治10年に作られた「官員さん人形」は昭和60年、八代目玉屋庄兵衛によって、帽子をちょんまげに、洋服を着物に、日の丸を采に持ち替えて、「織田信長」に変身したのです。
異色の官員さんであって欲しかったと思うのは果たして鶴爺や私だけでしょうか?

