小鈴谷 白山車

常滑市の南部に位置する小鈴谷は、かつて上野間・大谷・坂井等と小鈴谷町を形成していましたが、昭和32年(1957)に上野間を除き常滑市と合併しています。(上野間は美浜町と合併)
この小鈴谷の海沿い、清酒ねのひで有名な盛田の工場近くに白山神社が鎮座します。
祭礼に曳き出される山車は、大正7年(1918)阿久比村横松の大工江原新助から購入され、大正9年(1920)から曳き廻されています。この山車の履歴はわかっておりませんが、成岩の西馬場で曳かれていたとの言い伝えが残っています。
購入当初は彫刻も入っていなかったようで、その後初代彫常の手により約10年をかけて少しずつ加えていったといわれます。
昭和29年(1954)、昭和63年(1988)の大修理を経て、令和2年(2020)に建造100周年を迎える事を機に、平成29年(2017)から3年がかりで大修理が行われました。
平成5年(1993)に大幕、水引幕を、平成6年(1994)には追幕が新調されました。
近在の上野間・坂井・大谷と多くの共通性が見られ、半田に代表される知多半島東側とは異なる独自の山車文化が感じられます。
山車の特徴
白山車で特徴的なのは元綱(曳綱)には純白のサラシを巻きつけています。また、前山一対の提灯や大きな注連縄も白山車の特徴と言えます。

彫刻

持送り

  • 小鈴谷 白山車力神昭和初年 初代彫常
  • 小鈴谷 白山車力神昭和初年 初代彫常

力神
昭和初年 初代彫常

壇箱

七福神
昭和初期 初代彫常

  • 小鈴谷 白山車七福神昭和初期 初代彫常
  • 小鈴谷 白山車七福神昭和初期 初代彫常
  • 小鈴谷 白山車七福神昭和初期 初代彫常
  • 小鈴谷 白山車七福神昭和初期 初代彫常
  • 小鈴谷 白山車七福神昭和初期 初代彫常
  • 小鈴谷 白山車七福神昭和初期 初代彫常
  • 小鈴谷 白山車七福神昭和初期 初代彫常
  • 小鈴谷 白山車七福神昭和初期 初代彫常

前山

  • 小鈴谷 白山車懸魚梅福仙人昭和初期 初代彫常

    懸魚
    梅福仙人
    昭和初期 初代彫常

  • 小鈴谷 白山車蟇股龍虎

    蟇股
    龍虎

水引

  • 小鈴谷 白山車紺地に波に千鳥の刺繍平成5年新調

    紺地に波に千鳥の刺繍
    平成5年新調

  • 小鈴谷 白山車

追幕

  • 小鈴谷 白山車鈴と波に千鳥の刺繍平成6年新調

    鈴と波に千鳥の刺繍
    平成6年新調

人形

昭和6年(1931)小鈴谷の宮大工若子武一氏が制作したものです。(人形の胴脇に“奉納昭和六年四月吉日 尾州小鈴谷 発起者 盛田敬三 作者若子武一”と墨書)
近隣の坂井、上野間を模して調査・工夫・製作したものと云われています。
出樋を使用して「三番叟」、「七五三」、「大入り」の3つが演じられます。

  • 小鈴谷 白山車昭和6年(1931)小鈴谷の宮大工若子武一氏が制作したものです。(人形の胴脇に“奉納昭和六年四月吉日 尾州小鈴谷 発起者 盛田敬三 作者若子武一”と墨書)近隣の坂井、上野間を模して調査・工夫・製作したものと云われています。出樋を使用して「三番叟」、「七五三」、「大入り」の3つが演じられます。
  • 小鈴谷 白山車昭和6年(1931)小鈴谷の宮大工若子武一氏が制作したものです。(人形の胴脇に“奉納昭和六年四月吉日 尾州小鈴谷 発起者 盛田敬三 作者若子武一”と墨書)近隣の坂井、上野間を模して調査・工夫・製作したものと云われています。出樋を使用して「三番叟」、「七五三」、「大入り」の3つが演じられます。

山車鞘・山車蔵

神社からは遠く離れており、細い坂道を登ったところに位置する。このロケーションが祭りの最後を盛り上げる。前方は広くなっており、老人憩いの家などが建つ。
大正7年建築

  • 小鈴谷 白山車神社からは遠く離れており、細い坂道を登ったところに位置する。このロケーションが祭りの最後を盛り上げる。前方は広くなっており、老人憩いの家などが建つ。大正7年建築

手ぬぐい

  • 小鈴谷 白山車神社からは遠く離れており、細い坂道を登ったところに位置する。このロケーションが祭りの最後を盛り上げる。前方は広くなっており、老人憩いの家などが建つ。大正7年建築