公開日:2018.09.10 最終更新日:2020.06.28
平成30年4月29日、半田市亀崎西組様のご好意で上山からくり人形(山人形)の稽古の様子を取材させていただきました。
亀崎潮干祭で演じられる西組の上山からくりは『桜花唐子遊び』です。
桜木から下がった綾(あや)に唐子人形が手足を交互に掛け次々に渡っていくもので、「綾渡り」と呼ばれるからくりです。
その操作は桜の木の中を通した糸で綾棒を回転させることによって行われます。
亀崎西組の上山からくり
つまり人形本体を直接糸で操ることなく人形を操作する、いわゆる「離れからくり」に分類されます。
尾張地方の山車からくりには多くの種類があり、大まかに糸で人形を直接操作するからくりと、今回紹介する綾渡りのように操作系から独立し、あたかも人形が自ら動いているかのように思わせる離れからくりがあります。
いずれのからくり人形も意のままに操るには熟練を要し、稽古を積み重ねて初めて操ることができるようになるものです。
綾渡りのからくりは尾張地方では名古屋市中川区戸田、犬山祭、一宮市石刀、津島秋祭り、知多市岡田、県外では高山祭が著名で難易度の高いからくりとして知られています。
これら各地に伝わる綾渡りのからくりは数多い山車からくりでも動きのダイナミックなことで人気が高い出し物の一つです。
さらに、西組の綾渡りが特徴的なのは綾の数が7本と多く、更に途中で進行方向が途中で90度変わることから更に見応えのあるからくり演技となっています。
さて、この西組のからくりはいつ頃から演じられていたのでしょうか
『尾張名所図会附録ー小治田之真清水(おわりだのましみず)』に弘化5年(1848)と推定される祭礼の様子が描かれています。
そこに綾渡りと思われるからくりが確認できますので、亀崎西組の綾渡りは弘化5年には存在していたと思われますが、それ以前のことは不明です。
小治田之真清水より「亀嵜神明の祭礼」
小田切春江:画
時代は下がり、いつ頃からか破損して途絶えたままだった綾渡りのからくりですが、昭和49年(1974)に残っていた古い親木などの部材を元に手を加え、また一部は新たに制作して復活しました。
当時は桜木が現在より前方に位置し、人形方は桜木の後方に2名が並んで操作していました。
平成16年の祭礼より桜木を上山内に移動し、操作を下から行う方法に変更されました。
これによって下から見えていた人形方が姿を消すことになりました。
現在の桜木は平成22年(2010)に復元新調されたもので、自然の曲線を活かした桐材で制作されました。
綾渡りに使用される唐子人形二体の作者と製作年は不明ですが、昭和49年(1974)の復活時より使用されているとのことです。
また、この唐子人形2体は次年度までに復元新調に向けて準備が進められています。
平成14年の様子です。黒い桜木が現在より前方にあります。
取材当日は祭礼4日前ということで、既に山車が組み上がっており、桜木は山車の上山にセットされていました。
人形の稽古は祭礼本番と同じ条件でこの山車内で行われました。
最初にお断りというか、言い訳です。
狭い山車内を想定して広角レンズを用意したのですが、桜木から1段下がったその後方と、さらに桜木下の中段に位置し操作する二人の人形方、さらに人形の動きを一人で撮影するのは至難の業でした。
この糸を引くと人形がこう動くってところをお伝えしたかったのですが、申し訳ありません。
高所・閉所の恐怖と戦いながら、稽古の邪魔にならないよう山車の中を、出張った腹を引っ込めて這い上がったり降りたり・・・
変な体勢で撮り続けたものだから、翌日はお決まりの筋肉痛。
もし機会がありましたら、次回はカメラ2台・・・いや3台か?
態勢を立て直して再挑戦させていただきたいと思います。
ということで、まずは第1弾!しばらくお付き合い下さい。
花王車とサヤ、撮影はこの中で
さて、肝心の綾渡りの原理と仕組みですが、敢えて詳しくは説明しません。
というより、本来からくりの仕組みなどは「秘中の秘」であるはず!
今回紹介するにおいて一番悩むところでもありました。
秘密のベールに包んでおいたほうが良いのではないか?
何も知らないでいたほうが純真にからくり演技が楽しめるのではないかとも。
今回は西組様も公開前提で対応いただいておりますし、このご時世ですから書籍等で紹介されていることもあり「敢えて詳しくは説明しません」が、見ればわかる・・・ということにさせていただきます。
西組様のご厚意で特別に動画の撮影と公開許可をいただいておりますので、最初に動画をご覧下さい。
下手な文章よりご理解いただけると思います。
お願い:文書中の写真、動画等の無断転載はご遠慮ください。
※お断り 稽古中の様子を撮影しておりますので、失敗もありますが稽古ですから。
また、祭礼準備中で外部の会話も聞こえてきますが、これもBGMということで。
桜木(西組ではボクと呼んでいます)に花を咲かせます。
からくり人形の演技を行う前に枝と綾を設置し、桜花を飾ります。そして終了後に再び外す作業が必要です。
からくり装置を下から見ると、桜木が上山中央に置かれていることがわかります
綾は高低交互にセットされています。
写真はハ通り側(正面から見て左側)から撮り、1番の綾から5番まで。
綾に付く房が紫なのは後の日仕様だそうです。
初の日には綾に付いている房が朱になるとのこと。
知りませんでした・・・
唐子人形は赤い唐子と緑の唐子の二体。名前は付いていないようです。
綾の数は7本で、最後の巻物も合わせて糸の数は全部で・・・
数え忘れましたが10数本!
握りを色分けして区別しています。
材質は幹、枝ともに天然桐で、幹の裏側がえぐられています。操作系すべての糸がここから枝~綾に伝えられます。
人形方はわずか2名で操ります。
一人は上山四本柱の柱振止の切り欠き部分に入ります
こんな感じです。
こ、これは・・・
私が入ったら、出るときに上山を解体しないと出られないかも?
綾渡りのスタート位置です。
もう一人は下で操作します。ここは一般的な山車からくりでは定番の位置ですね。
上下の2名で声を掛けながらタイミングを合わせて糸を引きます。
真剣!
これは真剣じゃないとき・・・
1番の綾からスタートすると振り子のように前後に勢いを付けます。
操作するのは下の人形方です。
タイミングを見計らって綾棒の上に
そのまま前転して足を2番目の綾に掛けます
2番の綾に足を掛け反り返って3番の綾に手を掛けます
ここまで上部の人形方が操作しています
3番の綾に渡ったところです
3番の綾で前転して4番に
4番の綾に足を掛けます
4番の綾に足をかけて反り返ったところです。
この綾は左右に回転することができますので、ここで90度右に曲がり綾渡りは続きます。
このように途中で方向を変えるのが西組の綾渡りの特徴といえるでしょう。
ここからは山車の前方での綾渡りとなります。
4番の綾に足を掛け、反りながら5番の綾に手を掛けます。
5番の綾で前転をするところです。
赤唐子が7番の綾まで渡り終えると、次は緑の唐子が渡り始めます
緑の唐子が4番綾まで渡ると赤唐子は巻物にぶら下がり、山車内に降りていきます。
この西組の綾渡りのからくりを間近に拝見して思うに
こりゃ難解だ、難しい!
綾と綾の間隔、糸を引くタイミング、人形方二人の呼吸、などどれ一つ欠けても人形は綾を渡ってくれそうにありません。
西組だけに限った事ではありませんが、綾渡りのからくりほど見ていてスリリングなからくりは無いように思います。
事実一番失敗率の高いのが綾渡りのからくりではないでしょうか。
人形方は失敗しないよう懸命に操り、下で見ている観客は落ちるなよ、落ちるなよと祈り、両者一体となれる綾渡りのからくり。
(少し褒めすぎました・・・)
さらに本番の潮干祭では浜辺に山車を曳き揃えますので、砂浜では水平を出すのも難しい状況です。
時には強い浜風という悪条件でからくり人形を披露しなければなりません。
このあたりは西組だけでなく他組も同様に苦労するところでしょう。
そして想像以上に糸を引くのに力が必要なこと。
桜木から枝を通って綾までの糸の経路の長さ、さらに他地区より一回り大きな西組の人形の重さも関係するのでしょうか。
実際に糸を引かなくとも、その重さは伝わってきます。
いや、決して私が引きたいと思った訳ではありません。
もし、「やってみます?」と言われたら迷ったかもしれませんが・・・
でもきっと笑われてネタにされるに決まってる。
稽古中に「ブチッ!」と糸が切れてしまいました。
本番中なら大慌てでしょう。
ベアリング付きの滑車を各所に装着したら軽くなるんだろうな、と思わないでもないのですが
やっぱりソレではだめなのでして。
謝辞:亀崎西組若者頭、人形方の皆様には取材にあたり大変お世話になりました。
私の力量不足によりからくりの魅力を十分にお伝えできないこと、お許し下さい。
参考資料:潮干祭総合調査報告書(半田市他)
西組の「桜花唐子遊び」(山田和人)
桜本木新調の記録(杉浦豊)
