旧来の山車を惜しくも昭和20年5月の空襲で失ったため、現在の山車は昭和23年に中区住吉町から若宮祭の祭車「河水車」を譲り受けたものです。
四本柱と高欄周りは檳榔樹(びんろうじゅ)という熱帯産の高価な材を使用しており、彫り・金具・塗りとも豪華な山車です。
戦災で焼失した山車は伊勢門水著の「名古屋祭」によれば、文政4年(1821)に大久保見(あるいは中須賀町とも)で建造された「石橋車」とあります。
また、文政4年(1821)尾張10代藩主斉朝公より頂戴の山車との説もあります。
旧住吉町河水車
延宝2年(1674)に産宮参りの車として建造。のちに龍神太鼓のからくり人形に載せ替え河水車となったもの。